帝都推しポタ2日目②高等師範学校跡

おでかけ

そうそう、会津藩上屋敷跡のベンチでゴロゴロ転がってスマホ見てたとき、友人から「東京に来てるの?飲もう!」みたいなメッセージが来て、かれこれ8年くらい会ってないかもな友人だったので即OKした。
ということは飛鳥山はやっぱり切り捨て。
いや、それがなくても今日はもう飛鳥山までチャリこぐ気力は残っていない。

とにかく暑い日だった。
なるべくビルの陰になる道を走って、気がつけば神保町。
ハイティーンの頃にやたらと好きだった街。
地上げで酷いことになっちゃったけど、それでもまだ残っている古書店とか見ると寄りたくなる。
いや寄っている時間はない。
駿河台下の交差点とか超懐かしい!ってそのままやっぱり懐かしいお茶の水駅に向かうルートで、めっちゃびっくりしたのが……

明治大学めっちゃキレイじゃん!
(道を残したくて画像サイズ変えませんでした)
この道を古書店街に向かったりそこから帰ってくるときに歩いていた頃は、昭和臭ただよう校舎と、張り巡らされていた立て看板。そこに書かれる独特な文字でのアジテーション。その頃の私ですら「歴史」みたいに思っていた学生運動の香りがまだまだそこには残っていて、なんとなく怖いなと足早に通り過ぎていたことを思い出します。
が、もうそんな雰囲気がカケラも残っていない!
いやはやビックリ……と思っていたら、真っ正面に推しの職場跡地w

東京医科歯科大学!!
山川さんが校長を務めた高等師範学校の跡地
前夜、山川浩スポットであることを気づかず通り過ぎた場所、その①です。
ぼんやり「あの辺にある」くらいの感覚しかなくて、神田川沿いだということを完全に失念していました。
確かね、湯島の聖堂あたりの坂がちょっときつくて「しんどいよー」ってので頭がいっぱいだった😓

東京時層地図(日本地図センター)

今まであまり触れてなかったけど、東京時層地図でフランス彩色の地図部分は「五千分一東京図測量原図」なので、このエリアは1883(明治16)年作成。
地図にある東京師範学校は明治19年の師範学校令で「高等師範学校」に。
日本全国にある師範学校の中で唯一の「高等」師範学校。
唯一だから「東京」とかつけない。師範学校オブ師範学校。
そのトップが山川浩!キャー😆
語り出すと止まらなくなるので今回はこの辺で💦

こんな碑もあったりします。
現在の東京医科歯科大学と湯島聖堂の間の道沿いに。
この道路も明治期の師範学校でいうとガッツリ敷地内。

説明板はこんな感じで立ってる(左端)
地図だと昌平黌の大成殿あたりは図書館になってる。師範学校の敷地内と思えば、この道路のあたりはどうだったんだろう、建物の配置は?と気になって漁ってみると……。
高等師範学校一覧.明治31年4月-32年3月(国立国会図書館「写真の中の明治・大正」)
図面アルー!
この図面、山川さんの没後に出てるけど、高等師範の校舎って15年12月に火災にあって、17年から建築開始で20年に煉瓦造りの校舎が新築されたらしいので、10年ちょっとじゃ建て替えてないと思うの!
(↑ソース『東京高等師範学校沿革略志』45コマ

『地理写真帖』内國之部第2帙 明33.6. 国立国会図書館デジタルコレクション

そう思ってこの写真見ると「校長室ーーッ!」ってなりません?
なります。私はなります!木の陰に隠れてるけど、山川校長の姿が見えます!
惜しむらくは図面をみつけたのが自宅に戻ってからなので、現地で校長室の幻が見れなかったことでしょうか😢

それから、昌平黌へ。
といっても実は昌平黌に自転車とめて、中を通り抜けて「近代教育発祥の地」碑に向かったのです。

門!門!門!
意外と人がいて、人が写らないようにするのは難しかったです。

実はワタクシ、恥ずかしながらこの日の前日まで昌平黌って湯島天神のところにあると思っていたのです💦
湯島といえばそこしか知らなかったから、湯島の聖堂と天神様が一緒くたになってた!
この前夜、チャリこいでて「坂キツー!」ってなったときに「昌平坂」の文字をどこかで見て「あれ?ここが昌平坂?あの史跡っぽいのが湯島の聖堂?」みたいになって、ネカフェで調べて初めて気づいたのでした。(昌平坂は別の辺の坂っぽい)
広澤(安任)さんとか秋月(悌次郎)さんとかの小説読むときもたぶん天神さんの方のイメージで読んでいたような……😓
なんにせよ修正できて良かった。

まるで木と同化してるかのような孔子さん。
怖いけど神々しい、そんな感じだった。
すごく暑い日だったけど、とにかく木陰が涼しい。敷地内は木が鬱蒼と茂っていた。

大成殿(孔子廟)の前の階段に座って高等師範学校校舎跡の方角に向かって。
残念ながら湯島聖堂の中で山川さんが校長やってた時に存在していた建物は門!門!門!の真ん中の写真「入徳門」だけらしい。
他の建造物は水屋を除いてすべて関東大震災のときに焼失してしまったそう。
山川さん山川さん言ってるけど、永岡さんも水島(なぜかさん付けしづらい💦)もここで学んでいるわけで、それこそ日本全国の藩を代表する秀才達が国から遠く離れたこの場所で勉強しているわけですよ。
山川さんは子どもの頃は父親が教えるのを諦めかけるほど勉強苦手っぽかったけど、そんな子どもがまさか大人になって昌平黌の跡地を敷地にかかえる組織の長になるとは……お父さんも草葉の陰で驚いてたことでしょう。

とにかく喉がカラカラだったので自販機で飲み物買って、ベンチっぽい石は陽があたってたので、建物の陰の階段状のところに座り込んで……1時間くらい居た😓
もうこの後に予定してたところは止めちゃおっかなーとか弱気になりつつ。
あ、売店(?)には漢語入門的な本がいっぱいあって、欲しいのとかもあった。
漢文講座的な案内もあって「近所だったらなあ」って思った。
だって、昌平黌跡地で漢文学べるとかすごくない!?

あとね、この写真も貼られてた!(アイキャッチのは部分拡大)

足場の架設年からすると退職している可能性もないこともないけど、山川さんが校長をやってた頃か、もしくはその時期に限りなく近い時期の高等師範学校!
この写真が載ってる本買って見たときは震えたなあ。あの本、どこに埋もれてるのかなあ(笑)

そんな感じでダラダラしてたけど、やっぱり少しは巡っておこうと重い腰を上げました。
<続く>

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