成ヶ島・由良要塞跡で山川浩

おでかけ

朝日新聞クロスサーチで下記の記事が引っかかって「山川さん、淡路島に行ってる!」って、いつか行かねばと思っていたのです。

工兵第四方面の山川提理には淡州岩屋と由良との砲䑓を実地検査として來る十日赴かるヽよし

明治15年5月4日(木) 朝日新聞大阪版

由良の砲台跡は明治陸軍の遺構でもあるので気になりつつ、しかし22年では遠すぎるとスルーしていたのです。
山川さんが工兵第四方面提理だったのは明治15年3月~明治16年2月のこと。
あまりにも遠い……と思っていたのに、明治15年には実地検査!
きっと、残っているものが使えるかどうかの調査ですね!
すごい……そんな前から準備してたんだ!

山川さんが行ったとわかれば行かねばなりません😌
本当は山川さんが行ったルートとかも知りたかったけど、神戸又新日報は1884(明治17)年創刊。
Wikipediaさんには「明治13年に創刊され14年に日刊紙化した「神戸新報」なるものがあったらしいけど、明治期の新聞データベースとかにもないんだけどナニモノ???
大阪在住だった山川さんがどのルートを通って行ったのか。
神戸までは鉄道もあるし、明石~岩屋の船便は明治初期にもあったっぽい。
距離的には和歌山経由の方が近いんじゃないの?とも思わないでもないけど。
この辺はまた余裕のある時に調べるとして、まずは『岩屋と由良との砲䑓』です。

明治陸軍が造る前の砲台なので、幕末期のやつですね。
岩屋の砲台はすぐにわかりました。
由良の方はとりあえず成ヶ島の高崎砲台かな?くらいの感覚で決行😓
由良砲台跡を訪れたブログを見ると一人で歩ける気がしなかったので、「サクラマス食べに行かない?」と言って友人Oさんを誘いました。姑息。

サクラマス、おいしゅうございました。
以前行ったお店がお休みしてたので、急遽検索。
そこから比較的近い場所でよさげなお店に行ったのだけど大正解すぎた。
寿司一さんの「桜彩る和洋プレートランチ」
地元で配ってるっぽい冊子に載ってた写真で「コレありますか?」といって頼んだんだけど、ホームページ見たら前日までに要予約って書いてあった💦
何食べても美味しかったです!
普段から「淡路は全方向に美味しい」と言ってるけど、ほんと全方向(肉・魚・貝・野菜・果物・乳製品)に美味しい。淡路、ほんと好き。

お腹が満たされたところで移動。
成ヶ島渡船を利用するため、車はどこに停めたらいいの?と電話して訊いたら「今から行くよ」と歩いて車まで来てくださった。てか、停めていい場所の目の前から電話したので、そこに停めてと言ってくれるだけで良かったのに……渡船の人、親切すぎる。

乗り場の目の前にはもう成ヶ島の船着場が見えている!
200m 2分の船旅。友人はここまで海面が近い船に乗るのは初めてらしく感激してました。
私は元漁師の娘なので……田舎に行くとこれくらいの漁船によく乗ってたから懐かしい感じ。

島に渡ってまずは島の北側「成山」に登ります(標高52m)
しかし猛烈にトイレ行きたくなって、なんとか登ってとっとと写真撮って、急いでおりました。
苦しみながら撮った写真がアイキャッチのやつ。
同じだけど載っけておこう。

海岸線の向こうにうっすら見えてるのは和歌山。
砂州の先っぽにこんもり見えてるのが成ヶ島の南端「高崎砲台」のあったとこ。
その延長の右手に見えてる山が生石あたりの由良砲台跡のあるあたり。
高崎砲台は見てそうだけど今はそこまで行けない。
山川さん、成山には登ったかなーどうかなー。

高崎砲台跡には今は灯台が建ってるけど、砂州のくびれあたりまでしか行けないようで、行き止まりまで歩こうと頑張ったけど靴ずれした足で砂浜を歩くのは厳しく……途中でUターン。
湿地には珍しい動植物があるらしいけど、虫が酷くてすぐ砂浜に針路を取る。
が、ゴミが酷い!
流れてくるんだろうねえ。海に物を捨てたらダメ!

島にはなんだかんだと2時間くらいいて「帰りは電話してくれたら船出すから」とのお言葉どおり、おじちゃんがまた迎えに来てくれて、そういうまったり加減もいいなと思いました。
そしてなんとなく陽が落ちてきた感じがしたので慌てて生石公園へ。
まずは第二駐車場に車を停めて、第一砲台・第二砲台跡まわりを散策。

近代遺跡はそれなりに味があるのですが「これを造るために下見に来た」人に想いを馳せながら散策します(笑)
第三砲台はスルーして、第一駐車場へ移動。
第五砲台……すごい階段登った割になんだか写真撮ってもピンとこない。
ただ、ここまでくると煉瓦からコンクリートになっている時代の変化が素晴らしい。
第一駐車場からはさらに和歌山が近くに見える。市街地がハッキリと。
ああ、ここに橋が架かっていたら和歌山まで行くの楽なのに!!

半円形が砲台っぽくて良きですね😊
具体的にどこを見たとかわからないからいまいちテンションが上がりきらないんですが。
いつかきっともっと詳しいことがわかるはず!

そして下道でダラダラ走りながら、サンセットラインの方に新しいオシャレスポットとかできてるのを冷やかしながら、もう一つの砲台跡へ。

「徳島藩松帆台場跡」
意外とどこにあるのかわかりづらかった!
きれいに整備されてるし、看板なかったら砲台跡とかわからない。
でも確かにここは見たに違いない。

実地検分だから上にも登ったかもしれない!

そこで振り返るとすぐ海。
さすがに明治15年に明石海峡大橋はなかろうし、舞子や垂水もこんなに家は建ってなかっただろう。
でも鉢伏山の姿とかはそんなに変わってないだろうなあ。
山川さんの視界に入った山!と思えば鉢伏山も愛おしい。
いや、こっから見たかどうかわからないけど。

そうこうしてるうちに西側を見たら陽が落ちていくとこでした。
そういやサンセットラインで車停められるとこ、そこそこ車停まっててみなカメラ片手に海の方を見てたっけ。日の入り待ちだったんだな。
半日で終わるかと思った「淡路で山川浩を堪能する」の巻は意外と一日がかりになってしまったのでした😓
淡路での行動の詳細……やっぱり知りたいなあ。

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